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最高裁判所第二小法廷 昭和58年(オ)1272号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小倉一之の上告理由第一点の四について

一1  原審が適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

(一)  被上告人は、砂利採取運搬業を営み、昭和五〇年ころから妻カヨ子にその経理事務を担当させていたが、被上告人が右営業の性質上遠隔地に長期間出張することもあつて、妻カヨ子に対し取引用の印章を預け、同女に、被上告人の指示のもとに被上告人名義の取引書類を作成させたり、被上告人が裏書欄に署名したうえで同女に対し送付した受取手形について、被上告人の右署名下に右印章を押印させて、これを取引銀行である上告人の佐伯支店で手形割引させたり、あるいは取引業者に債務決済のため交付させたりしていた。

(二)  被上告人の妻カヨ子は、昭和五三年一月ころ、被上告人の右印章について、被上告人の弟清家得央から「世話のない手形に使用するものであり、迷惑をかけない」といわれ、得央が権限なく右印章を使用して被上告人名義の手形を振り出すことを知りながら、右の「迷惑をかけない」との言を信じて、得央に対し右印章を貸し渡した。

(三)  得央は、右印章を冒用し、訴外親和興業株式会社(以下「訴外会社」という。)を受取人として被上告人振出名義の本件約束手形(原判決添付約束手形目録記載の約束手形)を作成したうえ、訴外会社に対してこれを被上告人によつて真正に振り出されたものとして交付した。

(四)  上告人は、訴外会社から、その依頼に基づき本件約束手形の手形割引をして裏書譲渡を受け、本件約束手形を所持している。

(五)  上告人は相互銀行業を営む会社であるところ、被上告人は、上告人との間で、昭和四五年一〇月二六日当座勘定取引契約を締結し、更に、昭和四九年七月三一日本件相互銀行取引約定書(以下「約定書」という。)を差し入れて相互銀行取引契約を結んだ。約定書一〇条四項には、「手形、証書に押捺された印影を、私(被上告人)の届け出た印鑑に、相当の注意をもつて照合し、相違ないと認めて取引されたときは、手形、証書、印章について偽造、変造、盗用等の事故があつてもこれによつて生じた損害は私(被上告人)の負担とし、手形または証書の記載文言にしたがつて責任を負います。」との記載がある。

(六)  被上告人は、上告人に対し、二二〇万〇五四七円の当座預金債権を有していたところ、昭和五四年七月一〇日その払戻を請求した。

2  そこで、被上告人は、上告人に対し右当座預金二二〇万〇五四七円及びこれに対する払戻の請求をした日の翌日である昭和五四年七月一一日から支払ずみまで年六分の割合による遅延損害金の支払を求めた。

3  上告人は、被上告人振出名義の本件約束手形が偽造されたものであつたとしても、被上告人は上告人に対し約定書一〇条四項の規定に基づき本件約束手形金と同額の金員を支払うべき債務があると主張して、被上告人に対し、本件約束手形金相当額の二〇〇万円及びこれに対する支払期日の翌日である昭和五三年六月一日から年一八・二五パーセントの割合による約定遅延損害金の支払を求める反対債権があるから、上告人は、被上告人に対する右反対債権をもつて、被上告人の本件預金債権と対当額につき相殺する、との相殺の抗弁を提出した。

二  そこで、約定書一〇条四項の規定が銀行が第三者との間接取引によつて取得した手形にも適用されるか否かについて、判断する。約定書一条二項は、約定書の適用範囲を拡張して、銀行(相互銀行を含む。以下同じ。)が第三者との間接取引によつて取得した取引先振出の手形にも適用されると定めた規定であつて、右規定の趣旨からすると、一〇条四項の規定は、銀行が第三者との間接取引によつて取得した取引先振出名義の偽造手形にも適用されるかのごとくである。しかしながら、一条二項の規定は、真正に振り出された手形を前提としていて、一〇条四項の規定するような偽造の手形を前提としてはいないものと解すべきである。更に、約定書一〇条四項の規定は、そもそも銀行が多量の与信取引の事務を簡易迅速に処理する必要上設けられたものと解せざるをえないが、与信取引は、当座勘定取引における手形小切手の支払事務と異なり、銀行がその事務処理を特に簡易迅速に行わなければならないものではなく、右規定を適用すべき合理的な必要性は認められない。ことに、本件のように、銀行が第三者との間で手形割引などの与信取引によつて取引先振出名義の手形を取得する場合には、銀行は、一経済人として、当該与信取引によつて得る経済的な利益、当該第三者の資産・営業状態、振出人である取引先の資力及び裏書人があればその資力などを総合的に判断して、慎重に当該与信取引の諸条件のみならず取引自体をするか否かを決することができるのであるから、右規定が適用されるべき合理的な必要性を認めることができないことは明らかである。そうすると、約定書一〇条四項の規定は、銀行が第三者との与信取引によつて取得した取引先振出名義の手形については適用されないものと解するのが相当である。以上と同旨の見解のもとに上告人の前記相殺の抗弁を排斥した原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、所論引用の判例は事案を異にし、本件に適切ではない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤島 昭 裁判官 牧 圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 香川保一 裁判官 林 藤之輔)

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